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2008年10月1日、オリックスの清原選手が引退しました。
23年間ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
先月、この最後の試合をテレビで見ながら、思わず少年時代を思い浮かべてしまいました。
さあ!今月も元気にいきましょう! |
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私は、少年時代にリトルリーグとシニアリーグを通算7年間していました。リトルリーグでは硬球という、高校野球やプロ野球で使っているボールを使います。清原選手も、少年時代に岸和田リトルというチームで活躍をしていました。その岸和田リトルと私が入っていた旭リトルとは、親交があり、年に一度はどちらかが遠征で泊まりがけで試合に行くという関係でした。すごい選手がいるチームだな〜という印象はありますが、探しても写真などが見つかりません……。
過去に一度、飛行機でジャイアンツ時代の清原選手と一緒になった時があったので、聞こうと思いましたが番長オーラが出ていて近づけませんでした……(笑)。
さて本題です。清原選手の引退試合を見ていて、少年時代の野球をしていることを思い出しました。当時は、地域に空き地のような場所がたくさんあり、人が集まれば野球をしていたような記憶があります。野球は9人対9人でするスポーツですが、毎回そんなに人数が集まるわけがありません。時には6人対6人であったり、学年の違いで3人対5人などという時もありました。
3人のチームで困ったことは、ピッチャーと、ファーストとそれ以外に守備を一人置くと、キャッチャーがいません。すると相手チームから味方キャッチャーを出してくれて、新しいルールを作りだします。つまり敵がキャッチャーとして手伝ってくれるのです。
また、攻撃の時も3人だとランナーが満塁になるとバッターがいません。すると「お化けランナー」というルールができます。そこには「ランナーがいるつもり」というルールです。
それ以外にも、私は3歳から野球をしていたので、1年生になるまでは三振はなしというルールにしてもらっていました。
この少年時代の遊びの中で、「自分たちでルールを作る」という、とっても大事な要素が含まれていたと思います。機械のゲームでは残念ながら、プログラムの中にすでにルールが組み込まれています。バーチャルなスポーツゲームでは正しいルールは覚えられるかもしれません。しかし、一番大切な、助けあい、認めあい、そして思いやりを、ルールを作りながら学ぶことはできないと思います。
遊びのルールは子供たちが自らつくり、自ら問題とぶつかり、解決をしていく……。
きっと、この少年時代の遊びにはたくさんの事が詰まっていたのだと思います。2008年10月1日そんなことを思い出しながら、野球少年にかえって、清原選手の引退試合に涙してしまいました。
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園と保護者と、園児の味方。
北海道から沖縄まで全国の幼稚園・保育園を指導している。
1年間に飛行機に乗る回数は120回を超えるほど、日本中を移動。そんな中で「日記」を書いてくれています。
理不尽なことが大嫌い。普段は「背広モード」か「体操モード」で元気で優しいが、あまりに理不尽なコトがあると「ファイヤーモード」に変身するらしい。 |
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