2001年度 園だより
3月1日 園長 斉藤昌子
日頃から子供たちに本物を見せてあげたいと願っていましたらその機会がありました。
フルートの演奏です。朝の音楽鑑賞の時にメンデルスゾーンの春の歌(フルート)を聴いていましたのでぜひにと昨年に引き続き大矢洋子さんにお越し願いました。
彼女は牟礼幼稚園卒園生(11 回)で今の園児さんたちと同じように、幼稚園でピアノを習い始めました。そして「 ピアノ大好き人間 」 のまま大人になっても、音楽好きは止まることなく、ピアニストの甲能正隆(こうの まさたか)さんと共に幅広い演奏活動を展開しておられます。
「 フルートってきれいな音だネ。」
「 あの人知ってるヨ。見たことあるゥ。」
「 あッ、メンデルスゾーンおんなじだぁ。」 と侃々諤々。
「 となりのトトロ 」、「 千と千尋の神かくし 」 等おなじみの曲に加えてリクエストの 「 たきび 」 は甲能さんの巧みなクラビノーバ演奏で、皆うっとり聞きほれました。
午後からハーモニカの復習をしたばら組さんでは、「 フルートみたいだね 」 等大喜びだったとか...。まことに純真な子供たちには影響力大でありました。
絵画でも舞踊でも音楽でも、やはり 「 なま 」 に勝るものはありませんね。私自身三鷹第一小学校 6 年の時に児童画展で、あの上野の都美術館に入選して展示されたのをきっかけに美術が好きになりました。
これからも機会を捉えて、色々な 「 ほんもの 」 に接することが出来ますように願っています。
「 長 」 とは 園主 原 篤子
世の中には 「 長 」 と肩書きのつく人がたくさんあります。社長、部長、係長、教育長、学校長、園長等々、家庭では家長となります。
人の集まるところには必ず中心になる人リーダーが存在します。では 「 長 」 とはなんでしょう。
給料をたくさん貰って部下を従えているだけでしょうか。決してそうではありません。
何か問題が起こると自分が知っていても知らなくても全面的に矢面に立つのが 「 長 」 のつとめなのです。
子どもが小さい時には母親が全部面倒を見ます。
父親なんかいなくても結構とばかりに母親が父親の存在を無視するむきもあるやに聞いていますが、この様な家庭で子どもが大きくなっていざ問題が起きたときに歯止めになる父親が役に立たなくてなんとしましょう。
父親の言葉の重みを子どもに伝えておくのは、日頃の生活態度に掛かっているのです。
むつかしいことではありません。
お父さんは偉い人だから言うことを聞きなさい、などと言わなくても、朝玄関まででて、「 いってらっしゃい。 」、夕方 「 おかえりなさい。 」 を実行するだけでいいのです。くれぐれも、「
あんた、いつのまにかえっていたの? 」 とならないように。子どもが何かねだったときに、「 お父さんに相談してからね。 」 の一言が大事です。
そうすると子どもは自然に父親に一目おき、ただの友達ではなくなり、やさしいお父さんだけれど大事なことは父親に相談するという心構えが芽生えます。中学生から思春期になって問題が起きそうなときに父親の言葉が生きてくるのです。
社会規範を教えるのも父親の役目です。
不幸にして父親に別れた方もありますが、お祖父さんでも近所の小父さんでも親しくしておかれるとよいでしょう。良い日本にするための苦言です。
2月1日 園長 斉藤昌子
正月に三鷹市長さんを囲んでの賀詞交換会に出席しました。
市長さんのご挨拶に、今年も子育て支援の方向で頑張りたいという意味のお言葉がありましたが、私個人的に実感したことがあります。
それは、幼児の医療費が三鷹では就学時まで只ですね。
私の住んでいる相模原は 3 才までですから、「 そりゃもう大変 」という事になります。
その他、「 子育てネットワーク 」 も進みつつありますし、各コミュニティセンターでも色々な企画で市民のために働いてくださっています。
牟礼幼稚園でもなんとか皆様のお役に立ちたいと、「 なかよし教室 」 や 「 ことり組 」 を開設して頑張っていますが、何分宣伝が下手なので、地域の皆様に十分知っていただけないのが実情です。
1 月 19 日の 「 なかよし教室 」 も、すっごく楽しかったんですよ。
体操の佐藤先生も欠かさず来て下さって、親子体操で盛り上がります。是非とも沢山の方々に参加して頂きたいと心から思ったことでした。
どうぞ皆様! クチコミで宣伝方、お願いします。
「 なかよし教室 」 --- 毎月第 3 土曜日 10 時~ 11 時 無料
「 ことり組 」 --- 毎週火曜日 10 時~11時 有料
「 どちらでもその時間に一寸のぞいてみて下さい。」 とおっしゃって下さい。
お電話下さってもいいですよ。
若いお母様たちの共通の悩みも、たちどころに消えてしまうこと請け合いです。
みんなで、三鷹の子どもをたくましい子に育てましょう。
もっともっと住みやすい街を目指しましょう!
きょういく 園主 原 篤子
最近は教育の原点を考えよう、と言うような風潮がでてきています。
このままでは日本の将来が危ないのではないか等の論調が盛んです。
政治家のごまかしから一般の万引きまで、「 うそ 」 で固めたような世の中になってきたのは悲しいことですね。
このようにならないためには、幼児期から人としての正しいルール、社会規範をしっかりと身につけさせることが大事だと、つくづく思います。
そこでこの頃言われている東京革命の内容を記してみます。
1.毎日きちんと挨拶させよう。
「 おはよう 」 ではじまり、「 おやすみなさい 」 で終わらせよう。
2.他人の子どもでも叱ろう。
人に迷惑をかけた時は他人の子どもでも、きちんと叱ろう。
3.子どもに手伝いをさせよう。
4.欲しい物を何でも与えずに、「 がまん 」 を教えよう。
5.先人や目上の人を敬う心を育てよう。
6.暑さ、寒さに耐えるよう体をきたえよう。
7.子どもの話に関心を向け、その日のことを話させよう。
以上
この中から一つずつでも実行してみてください。
勿論実行しているかたは大勢いらっしゃることとは思いますが、ずっと続けて欲しいと思います。
幼稚園では、挨拶は徹底していて、みなさんきちんとできます。
また立った時に自分の椅子は机の下にいれる動作、靴の始末など一人残らずできるようになっています。
お家でも出来るよう親御さんもお手本を示して頂ければ、しっかりと身につき、将来の紳士、淑女の素地ができ人から一目おかれること請け合いです。節分を期に弱い鬼を追放しましょう。
1月9日 園長 斉藤昌子
2002 年あけましておめでとうございます。
昨年は本当に充実した良い年になり、ひとえに保護者の皆様のご協力の賜物と感謝の気持ちで一杯です。
今年も皆様にとりまして更によい年でありますよう、牟礼幼稚園の職員一同共々に祈念しております。
12 月には色々なことがありました。
1 日のおゆうぎ会を始めとして、6 日には子どもたちの大好きな、くりちゃんという腹話術の人形が来てくれました。
これは他園の園長先生で、長年お話や手品を研鑽されていて、あちこちの施設で演じていらっしゃる方です。
園長先生のユーモアあふれる誘導に、園児たちはキャハキャハと笑いころげていました。そこで牟礼幼稚園の先生方は、早速学びの心で、 19 日のお楽しみ会には、ラッシュといってもいいほど盛り沢山に手品を取り入れて、子ども達に喜んでもらいました。
そしてもう一つ同じ 6 日に、素晴らしい贈り物があったのです。
ご近所の Y さんという方がピアノを下さいました。
娘さんたちが成人されて、今は弾く人もいないので、幼稚園なら毎日弾いていただけると思うので、多分ピアノにとっても嬉しいことでしょうから。
とおっしゃいます。
高価なものですのに、ご近所だからというご縁だけで、こんなに優しいお心をかけて頂き、感謝一杯でございます。
今、ばら組の保育室で大切に使わせていただいています。
有り難うございました。
新年を迎えて 園主 原 篤子
明けましておめでとうございます。
お正月って、いいですね。
いくつになっても、お正月という言葉は、わくわくとした嬉しさがありますね。
何もなくても、何処へ行かなくても、たとえ寝正月と思っていても、新しい年を迎えるよろこびが心の底からわき上がってまいります。
今年こそは、あれをしよう、これもしよう、などと理想と空想をないまぜにしながら 1 年間の予定を考えることは楽しい限りです。
行事でも無条件に去年と同じことをすることはありません。
結果はたとえ同じになったとしても、考えてから、よかったことだけを実施しています。
子どもに身につけてほしい事はたくさんありますが、なかでも一番大事なことは自立だと思います。
幼児は何でも自分でやりたがります。ところが親の身になると危なかしいとか時間ばかりかかって困る、とかの理由で手を出してしまいがちですね。
よい子に育てることは一にも二にも親の根気、言い換えれば 「待つ」 姿勢が大切になります。
子どもが親の真似をして何かをやっても、なかなか上手くはできず失敗した時、「 それごらん、だからやってあげると言ったのに。」
これでは次からは自分でやろうとせずに親に依存してしまいます。
自分でやって叱られるなんて誰でもいやですものね。
その結果意欲がなくなって親まかせ。そのころになって、「 もう大きくなったのだから自分でやりなさい。」 これでは子どもが可愛そう。
うまく出来なくても、いろいろなことをたくさん経験したことのあるお子さんは、何か教えた時に、のみこみが早いのです。
人として、「 自分で考えて、自分でやってみる。結果には責任を持つ。何でも人のせいにしない。」
今年は園児のみなさんを、「 元気なよいこにしたい 」 ですね。
12月を迎えて 園主 原 篤子
毎年のことながら、12 月の声を聞くと 「 もう 12 月 」 と思わずつぶやいてしまいます。
時の流れの早さを、つくづく感じるこの頃です。
子どものころは、「 もう 」 どころか、「 まだ 12 月 」 とお正月が待ち遠しかったものです。
12 月になると、あちこちで大掃除をしたり、買い物に出かけたりする人のにぎやかな声がひびき、みんな忙しそうでしたが、うきうきとした感じなのでした。
今は、お正月を迎える緊張感も楽しさも、あまり感じられないように思いますが、皆様はいかがでしょうか?
またこの頃はなんでも早いことがいいことだ、とばかりに皆一生懸命走っているように思います。私もその一人なのです。
今年の 12 月は一寸一休みして、この 1 年を振り返ってみることにしました。
自分は何もしてこなかったと気がつきました。
まわりの皆さんのお陰で幼稚園も無事に 1 年を終わることができます。
1 番に感謝しなければならないのは先生方に対してです。
朝早くから 3 時までは保育に専念して園児の皆さんに目を配り 1 分たりとも気を抜かず緊張の連続です。
園児が帰った後は保育室の掃除をして今日 1 日の様子を記録し、明日の準備をします。
行事があればその準備があります。
今はおゆうぎ会の小道具作りで忙しい毎日です。
息つく暇もないくらいですが、いつも笑顔をして元気に仕事をして下さっている姿に感謝の念でいっぱいです。
また、お母様方の笑顔が先生を勇気づけます。
来年も笑顔一杯の楽しい幼稚園になりますように。
保護者の皆様、良いお正月をお迎え下さい。
11月11日 園長 斉藤昌子
毎年のことですが、秋の遠足は大変楽しみです。
同じ神代植物園でも、春の時は気付かなかったばら園の花々が咲き揃い、ふくいくとした香りがいっぱいです。
ばら園の真ん中にある 「 噴水 」 をしばらく観察します。
水芸のように綾になって飛び散る水しぶきに見とれていると、まもなく細々となり全く消えてしまったりする様を、全員で飽かずに観ています。
「 え? 春はなぜ観なかったかですって? 」
それはもうお気付きの通り、新入園児さん達に如何に前進してもらうかで必死だったからにほかなりません。
どんなに毎日のように幼稚園で練習していたからとしても、場面が変わるとそりゃもう大変。 「 お友達の後をついて来てね。 」 なんて言葉は通用しませんのです。
木の実や葉っぱなど、興味のあるものを見つけると、すぐに立ち止まって拾ったり集めたり。
誰かが始めるとボクとワタシもと、この手の反応はすこぶるよろしいのです。
そんな風だったうめ組さんもすっかり落ち着いて頼もしい限りです。
「 フンスイってお水なんだね。きれいに並んでいるね。 」
なんて言ってくれるのですから、私たちも思わず顔がほころびます。
どんぐりの落ちてくる森の小道を抜けて、温かい大芝生でお弁当を広げると、
「 やったぁ、大きなおにぎり。みてみてセンセイ! 」
と大はしゃぎ。お母様の心づくしのお弁当におやつの数々...。
丹念に平らげていますが、「 いいのかしら?」 と思うほど、時間一杯まで黙々と食べている人や、さっさと切り上げて芝生でイモムシゴロゴロをやってはしゃぐ人たちと様々です。
どの顔も子供らしい好奇心にキラキラと輝いて幸せなひとときです。
ことば考 園主 原 篤子
昨晩テレビを見ていた時、古館さん司会の番組で和泉元弥という方のことが出ていました。ご存知のとおり和泉元弥と言えば、能の家元であり、また目下放送中の北条時宗の主役その人ですね。
質問で、「 お母様のことをなんと呼んでおられますか?」 「 おかあちゃま 」
その一言を聞いて私はとてもなつかしい気がしたことでした。
この頃は、このような言葉を聞くことはほとんどありませんでした。私が幼い時には父母のことを、「 おとうちゃま、おかあちゃま 」 と呼んで大きくなりました。私のことは
「 おねえちゃま 」 でした。
中学生になったころ、弟が、「 もう、おねえちゃまではおかしいので、さまにしよう。」 ということで父母のことも 「 おとうさま 」 にかえたことでした。
言葉と生活はある程度関連があるように思います。
「 おとうさま 」 と呼べば、「 どこへ行くの? 」 ではあいませんよね。
「 どちらにいらっしゃいますか? 」 でなければなりません。
お母様と呼ばれては、だらしない格好でごろごろするわけにはまいりません。世の中もずいぶん変わりました。
私は我が子には自然にまかせていましたから、周りと同じように、「 おとうさん 」 になっていました。
孫は 「 おばあちゃん 」 と呼びます。
言葉というものは、その時々によって少しずつ変わっていくようです。
今はやたらと省略語が多く、また単語の頭だけをとって並べてあるので意味が判らず新語辞典が離せませんが、またしても新しい言葉が出てくるようです。
園児の言葉が悪くなったとなげくお母様方が多いのですが、4、5 才のころは好奇心が旺盛で良い悪い関係なくすべておぼえてしまいます。
覚えたものは使ってみたいのが人情、「 バーカ 」 などと言われてびっくり。
でも心配はいりません。その都度 「 それは人様や親に言うことばではない。」 とまじめに話していれば、幼児でも判ってきて使い分けるようになるのです。
あまり目くじらをお立てになりませんように。
10月1日 園長 斉藤昌子
2 学期が始まって、幼稚園は一段とパワーアップしています。
運動会、作品展、遠足と続き、最後はおゆうぎ会で年末を迎えます。
この時期は、どのクラスも張り切って練習に励む場面がみられます。
牟礼幼稚園では、これらの行事を大切にしていますが、あくまでも日常の生活を一寸アレンジして、保護者の方々にも観ていただき、共に園児さんたちの成長を喜び合うのが目的です。
とかくエスカレートしてしまいがちですが、園主先生はそれを戒めています。
「子供たちが喜んで参加しているか?」
「子供たちに余分な負担がかかっていないか?」
ということが、夕方の職員会議でのテーマになっています。
園児さんたちにとって一番大切なことは、「 毎日が生活 」 なのです。
平和の中にもメリハリがあって、心がワクワクときめくような毎日を提供したいと思って、先生たちも頑張っています。
それでも毎年、思いがけない人が力を発揮して私たちを驚かしてくれるので、今から楽しみですね。
年少組の頃は、あまり積極的でなく、「 ミテルダケー 」と言っていた人が、突然積極的になり、絵画や造形に熱心に取り組みはじめてみたり、また思いがけず意外な人が、舞台度胸があったりしますので、見逃せませんよ。
乞う! ご期待!
充実の秋 園主 原 篤子
日曜日、つれづれなるままに、と書くといかにも文学的なのですがそんな大それた話ではなく、まあ何となく手元にあった諺辞典を開いてみました。
その中には我々の生活上の知恵が短い言葉で的確にまとめられていて改めて感心しましたので二、三取り出してみました。
人のふりみて我がふり直せ
ならぬ堪忍するが堪忍
病は口より入りわざわいは口より出ず
笑う門には福来る
捕らぬ狸の皮算用
遠い親戚より近くの他人
二兎を追うものは一兎も得ず
我が身をつねって人の痛さを知れ
三つ子の魂百まで など
子供の頃よく聞かされた諺は、
ノミ ( 鑿 ) と言ったらツチ ( 槌 )
鑿だけでは役に立たない必ず槌が必要なので気を利かせること。
壁に耳あり障子に目あり
誰も見ていないと思って悪いことをしても、必ず判るという戒め。
失敗は成功のもと
読書百遍意自ずから通ず
意味が判らなくても何回も読めば自然に理解できる。
折々に母が上記のような言葉を口にして意味を話してくれましたので、心に残っています。
中でも、「 瓜に爪あり、爪に爪なし 」は瓜の字の書き方に迷った時この言葉を思い出し正確に書けたものです。
9月1日 園長 斉藤昌子
7 月には色々なことがありました。先ず、七夕様ですが、今年もまた園児さんのお宅から立派な竹が届けられ、クラス毎に飾ることができました。
そして盆踊り。今年は園児のお父さまのお申し出によって大太鼓のお囃子入りでしたから一層盛り上がりました。
どちらのお父様も、牟礼幼稚園のご出身だったりしてついつい気楽にお願いしてしまいましたが、誠にありがたくあらためて 51 年の歴史の重みを感じています。
そんな中、半世紀にわたって幼稚園を続けてこられた原 篤子園主先生に、「幼児教育一筋にやってこられた教育理念を話して下さい。」 と幼児活動研究会の山下孝一先生(コストスポーツクラブ社長)よりお話があり、近県の幼稚園から
10 名の園長先生がお見えになりました。
子どもたちに直接「紙ヒコーキ」などを折って下さる園長先生もいらっしゃいました。
「日本の未来を託す子どもたちのために、失われつつある基本的な教育を今こそ取り戻さなくてはならない。その大切な理念が、ここ牟礼幼稚園には活きている。」
とまでおっしゃって下さって、園主先生共々うれしかったです。
園主先生は、例によって淡々と、
「50 年前も今も、子どもたちの純粋さと活力は変わりませんよ。私達はほんのお手伝いをしているだけです。毎日がとっても幸せです。」
と...。
充実の秋 園主 原 篤子
久しぶりに明るい笑い声に溢れた幼稚園。
先生方はお休み中も毎日出勤して 2 学期の準備に明け暮れていましたが、園内はしーんと静まりかえっていたものでした。
今日からは違います。笑顔と歓声、幼稚園はやはり園児が主役ですね。
2 学期はお米、果物、野菜など実りの秋です。人の子も同じように内容充実の秋なのです。
表面的には一応園生活も身につき整ってまいりました。今度は一人一人が自分で考えて自分で行動できるように促す時なのです。
お母様方も思い切って子ばなれして下さい。
「私が付いていなければ心配だ」ではなく、「もう大丈夫」と思い直してくだされば子どもは期待にこたえてくれます。
これが自立の第一歩なのです。
子どもは 「困ったこと」 、 「悲しいこと」 、 「痛いこと」 など自分で経験してこそはじめて人に対しての思いやりの心が芽生えるのです。
転んで痛かった子は友達が転んだ時 「大丈夫かな」 と思うのです。
お家でわがままいっぱいに過ごしているお子さんは、「がまん」することを知りません。一寸困るとすぐ泣きわめきます。泣けば要求が通ると信じているからです。泣かずに言葉で話すように、また少し我慢できるように教えてかわいい子に育てて下さい。
去る 7 月 25 日に私学会館で全私立幼稚園連合会主催の教育研究会が開催されました。全国から幼稚園の先生方が 1000 人近く一堂に会しました。その席で思いがけなく私が会長から
50 年間幼児教育に専念した功労者として表彰をうけました。50 年を目標にがんばったのではなく、ただ 1 日 1 日を大切に子どもと接しているうちに、いつの間にか月日がたっていたと思い少々面映ゆい気がしたことでした。今日一日が大切です。
明日からでは間に合わないのです。
7月1日 園長 斉藤昌子
近頃の子たちは、「 とにかく我慢ができない、すぐキレル...。」 とよく言われますが、どうしてなのか? 原因は何か? 何と嘆かわしいことか...。
日本中の大人たち ( と自認している人 ) のつぶやきが聞こえてくるようですね。
ほとんど毎日のように、私たちもぐちぐち言っています。
園主先生はズバリ、『 大人たちがウソつくからですよ。』 と言われました。
「 ご飯を食べなきゃ、デザートはダメよ。」 と言っておきながら、駄々をこねる子に、「 しょうがないわねェ、じゃあ一つだけよ。」 と言っていちごなどを山盛りに出す親がいるでしょう?
これほどウソツキはないですよ。子どもは 「 ダメ 」 と言うことは 「 くれる 」 ことだと思うに違いありません。
そう言えば最近、スーパーなどで駄々をこねてひっくりかえっている子は見かけないですね。と首をかしげていましたら、牟礼幼稚園の若い先生たちは、
「ひっくりかえられると恥ずかしいので、多分その前に買ってあげちゃうのでは?」
と推測してくれました。
そういうわけで、また一つ、「我慢ができない」 原因をつくってしまいましたとさ。
ある日の職員会議での会話でした。
6月1日 園長 斉藤昌子
13 年度は、水曜日も全日保育にしましたので、未就園児の「 なかよし教室 」が土曜日になりました。
一寸心配していましたが、5 月の「なかよし」は 4 月にも増して多数お集い下さり、中にはお父さまのご参加もあって、まことに嬉しく思いました。
一度決めた制度や慣習を変えるということは、大変に勇気とエネルギーを要します。私といたしましては熟慮断行を余儀なく、またその結果を見るまでは心おだやかではありません。
けれども、こうして良い結果を生んだときは、正直ほっといたします。そして又更に改善の余地はないものかを、園主先生と一緒に考えています。
子供達の成長は、日に日に伸びていますので、あまりゆっくりと時間をかけられない面があります。
園主先生は常々、「良いと思うことを、どんどんやりなさい」と言って下さいますが、牟礼幼稚園丸という船の舵取りを、楽しく、しかも皆様に喜んでいただけるように、これからも頑張りたいと思っています。
園主先生の口ぐせですが、
1. 子供たちにとって良いか?
2. 親御さんにとって良いか?
3. 先生たちにとって良いか?
をよくよく吟味しながら...。
時の記念日 園主 原 篤子
6 月 10 日は時の記念日ですね。
時間とは不思議なもの、みんな平等に 1 日 24 時間自分にだけ与えられていますが、その日によって、あっと言うほど早く逃げていったり又あくびが出るほど時間の流れが遅かったりします。
日頃時間に追いかけられている私ですが、日曜日などは終日、新聞を読んだり花や空を眺めてのんびり過ごし時間を忘れています。
私の父は時間に対して非常に正確な人でした。
朝出かける時間は勿論ですが、帰宅時間も 2 分と違いませんでした。
お呼ばれに招かれた時にも、さっさと出かけるので、母が「いやしいようでみっともないから、もっと遅く」と言いますと、「いやいや、そうではない。準備をして待つ人に対して遅れるほど失礼なことはない。料理はさめるし、心配をかける。5
分前位に近くまで行って時間丁度に玄関に立つのが礼儀だ。」と言ってききませんでした。
私が時間が気になるのは父の影響だと思います。
父は 1 度も私に時間を守れとも言いませんでしたが、父のそんな姿が身についたのでしょう。
会合の時間に遅れそうになって、あわててタクシーで駆けつけてみると、主催者はのんびりと、もうしばらくお待ち下さい、と。
がっかりしたことも 1 度や 2 度ではありませんでした。
待たせることは相手の時間を奪うことになりますものね。
5月1日 園長 斉藤昌子
新入園児さん達もだんだん落ち着いて参りました。
毎朝のホールでの集会は、今日一日のお子様の状態を知る上の大切なひとときとなっています。
3 分ほどのクラシック音楽鑑賞の間、静かに音楽に集中できれば、今日一日の出発として上々です。
反対に、何となく落ち着かないとか、ぐずぐず言っている時には、例外なく体調がすぐれません。後でお母様に伺ってみると、
「 実は夕べ遅くまで起きてたんです。眠いんじゃないかと思います。」
「 今朝あんまり言うことをきかないので、きつく叱って泣き泣き来ました。」 etc.
幼児は一刻一刻変わりますので、その後はケロリとしていますが、できればおだやかな一日の始まりが望ましいのはいうまでもありませんね。
そこでご家庭のサイクルを、大人と子供とにきっちり分けて頂きたいのです。幼児にとって一番大切な睡眠時間を、最優先に組んで下さい。
最近は、「 日本の子供達が、世界の子供達に比べて、かなり睡眠時間が短くなっている 」 という統計を見たことがあります。
TV は面白いし、お父さんは遅いし、と色々理由はあげられます。
夜は 8 時と言いたいのですが、それは現代人にはちょっと無理ですかね。
「 9 時過ぎは大人の時間!」 と言い切って下さい。
大人だって睡眠が十分でないと、気分爽快とは参りません。
そして、お互いに清々しい朝を迎えましょう。
思いつくままに 園主 原 篤子
春深く八重桜の花も散りいそぐ今日この頃、心地よい風が頬を撫でていきます。
風薫る 5 月、万緑の季節となりました。
瑞々しくやわらかい木々の緑の上を、鯉のぼりがハタハタと泳いでいます。
園児たちの歓声につつまれて、鯉のぼりもうれしそう。
蔦若葉、萩若葉、草若葉などと 5 月は一斉に若い葉が伸びる時ですね。
若い芽が力強くのびていくのを日々眺めながら、思わず園児の姿と重ね合わせている自分に気がつきます。
いいですね。
花も美しくうれしいですが、緑の葉っぱもまた心を慰めてくれます。
いつまで見ても飽きませんね。
木々にもそれぞれ役目があるのではないだろうか、とふと思い出した事があります。
もうずっと以前のこと、私が 30 才の時、死ぬか生きるかの大病をした時のことです。
入院先の院長先生が回診されたときに話された言葉は、
「 人にはそれぞれ 『 つとめ 』 がある。医者には医者のつとめがある。病人にもつとめがある。 」
私は聞き返しました。
「 身動きも出来ない病人は、どうすれば 『 つとめ 』 が果たせるでしょうか?」
先生は、
「 それは笑顔だよ。」
と。
「 どこも動かなくても目は動かせるだろう。 」 と。
先生は厳しい方でした。指示を守らない患者が来ると、「 体が大事でないならもう来るな。 」 と一喝されるのでした。
しかし心は広く優しい先生で、私はこの先生に命を助けて頂きました。
二度と正門からは出られないだろうと看護婦さん達は話していたそうです。死体は正門からは出さない決まりがあるようです。
今も先生のことを思うと心が暖かくなるのです。
4月6日 園長 斉藤昌子
3月18日には、飛びきり上等の笑顔の卒園生を無事に送り出すことができました。
そしてはや 4月の始業式、入園式を迎えることとなり、園主先生はじめ職員一同、はりきって園児さんたちをお待ちしております。
今年もまた、「子供第一主義」を貫いて、しっかりとお子様たちをお預かりしますので、ご安心下さい。
保護者の皆様には、この一年間も各自が実りある成長をとげられるよう、お励まし頂きたいと思います。
幼稚園では、お子様たちが、「幼稚園って楽しいよ。」と思いながら遊んでいるうちに、色々な社会のルールが身につくようにしてまいります。
生まれて初めて家族以外の人に接し、先生やお友達の存在を知るわけですが、なかなか認められない人や、あっさり溶け込んでしまう人など様々ですが、これが個性です。
十人十色ですから急ぐことはありません。
比較的ゆっくりしたい人に、「早く早く」と言っていると、確実に「いや」になってしまいます。
そんな中で、お子様が昨日できなかったことが初めてできたときや、園で覚えたことを実行したときは、どうぞ思いっ切り褒めてあげて下さい。
幼児にとって大好きなご両親からのほめ言葉が何よりの特効薬になります。
こんにちは 園主 原 篤子
陽春 4月、身も心もうきうきするこの時期、ご進級、ご入園まことにうれしい限りですね。わたくし達もこの日をどんなにかお待ちしていました。
先生たちみんなで両手を拡げてお迎えしたことでした。
さあ - お子さまの第一歩と共にお母様も心構えの第一歩を踏み出して下さい。
今までは手の中の宝物として愛撫して、わたしがついていなければ心配で、心配で...という気持ちを少しだけ忘れて欲しいのです。
今日からは我が子を一人前として信じて、幼稚園にいる間は安心して園の先生にお任せ下さい。先生たちは最善の努力をいたします。
生きていくために必要な知恵や心構えを、しっかり身につけるよう場に応じて指導していくのが幼稚園のねらいです。
一度もつまづいた事のない子は自分で注意することを知りません。
親が安全に安全にと、先回りして口だし手だしをしていると、人ばかり頼って自分で考えることをせず、その結果大失敗をすることになります。子どもは親が考えている以上に能力を持っているものです。
先生の優しさがお子さんを元気づけます。
子どもなりに一生懸命幼稚園の環境に慣れようとしているのです。
どうか、足を引っ張らないでください。
足を引っ張るとは、
お母様が不安そうな顔をして、いつまでもお子さんの周りをうろうろなさると、子どもも必ず不安になってしまいます。
子どもは - 何もできなくて当たり前です。
泣くのも当たり前です。
のろまなのも当たり前です。
お母様は - マイナス思考ではなく、プラス思考でいて下さい。
何事も良い方に考える方が良い結果になります。